よくみる

よくみることを よーくみると よくみえる

ブログをする理由2

僕は他の人と一緒に何かをやることより 自分の感覚で物事を進めていくことばかりをしてきた

色んな要因はあったけど いつのまにかそれが当たり前な生き方になっていた

一人は気楽で好きだった

でもある時から 一人で幸福感を感じるけどその幸福感を感じていると

「なんかちがう」という違和感がでてきた

それは小さい時に友達と遊ぶことが楽しいけど あるとき世の中にはもっと広い世界があるんだということに気づき始めたような感覚に似ている

自分と他の人との境界線がなくなって来た時に 自分だけ幸せが感じるていることにまだ何かやり残しているような感覚が大きくなった


僕はとにかく何でも経験することが好きで両極端の状態や立場を経験することに喜びを感じる性質だから

今は喜びが「自分一人で生きる」ことから「人と共に生きる」という視点を体感して
「ああ この見方もあるよなぁ」と 
興味の軸がまだやっていない「人と共に生きる」ということに自然に移っていった

それから人と一緒に何かを作り上げることに取り組み始めた

やってみるとこれまで一人で生きてきたことの価値観がどんどん崩されていく

これまで自分の判断だけで生きていた人にとっては衝撃的な発見も多々ある

人と一緒に何かをやることは大変なことは予測してた以上だった

でも 逆に感動も予測以上だった

人と一緒にやることは こんなにも楽しいことだったんだと目から鱗が落ちるようなこともたくさんある

これまで一人でやることに向き合いすぎていた自分の感覚も少しずつ変化していった

今もその「一人で生きる」と「人と共に生きる」のバランスは実験段階だから
失敗して気づくこともたくさんある

僕が人と一緒に作り上げることで 取り組んでいる一つに会社内・チーム内で調和・整合して進んで行くというのがある

これまで自分軸だけで生きている時は 人と一緒にやるなら自分の感覚や価値観に近い人でないと一緒に出来ないというのが当たり前だった
自分の感覚に近い人なら相手に合わせなくても自然と一致することが多い
その中でなら他の人とも一緒に物事を進めることができた

だけど 今は全く正反対の性質の人や多様な個性が集って一つの物事を作り上げることに挑戦している 
多様性を尊重して生きることは理想でやりたいことだけど
一筋縄ではいかない

でも現実はそんな理想に向かってサポートしてくれるのか
環境や状況が多様性に向かって僕の現実に現れる 
そうするしかない人達が集って来て個性豊かな人達と一緒に物事を進めることが増えてきた
こういう環境では例えば相手の感覚を受け取りながら自分の氣持ちを伝えるということが必要になる

これまで自分の感覚だけで生きていた自分にとってはこの全く異なる生き方をしている人達と感覚を共有しながら生きることはすこぶる難しい

なれないから氣づいたら自分の感覚で生きていないということもしばしば起こる

例えば 会社や物事を進めている人が決めた判断が自分が感じていることよりも優先して生きるということを知らないうちに採用している自分にハッと氣づく

相手に合わせすぎて自分の主体性が何処かにいってしまう

この感覚は僕が子ども時代に失敗していた馴染みのある感覚だった

子ども時代は親と先生が選択することが自分の感覚よりも正しいと信じていることがよくあった
親元から離れてから 自分が学びたいところで自分の感覚で学ぶという生き方に代えて物事が上手く流れるようになった
その時 初めて自分の感覚で生きることのシンプルさと力強さを知った
それ以来 自分の座右の銘は「好きこそモノの上手なれ」になった
「自分の感覚で生きる」ということは自分には向いていて
必要不可欠だということを経験して理解した

今は人と一緒に何かを創るときも子ども時代のように相手に自分の感覚を依存しないということを大切にしているつもりだった

だけど人と一緒に何かを創っている今の環境で 子ども時代と同じように 自分の感覚より相手の感覚に委ねるという生き方を採用している自分がいるんだなぁとまた氣づく

相手に委ねた方がどこかで責任もないから「氣楽でいい」と思っているのかもしれない
相手に自分の感覚を委ねていくと どんどん自分の感覚が鈍ってくる

些細なことだったが 先日会社内で起こったのは会社の方針に感覚を委ねるということから発生した

自分の感覚を信じてお客さんと対応していれば 氣づいていたお客さんの繊細な氣持ちを見逃した

会社はどうしても利益や効率的な判断を優先してしまうことがある

結果お客さんの氣持ちの変化を会社のために利用してしまっていたことに氣づかなかった

これは些細なことで 問題としては直ぐに対処できたが

自分の感覚よりも会社や上司の感覚を判断基準にしている自分が知らない間に創られている

ん〜難しい

自分で生きることの感覚と人と共に生きることの感覚

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このバランスはたぶん成長する中で両方学んでいくことなんだと思うけど 
先日起こったことはもう少し自分の感覚を取り戻しなさい というメッセージだったのかなと思う

人と一緒にということへ挑戦しながらも 自分の感覚で生きることとのバランスをとりながら 生きていきたい

このブログは僕にとって 自分の感覚を表現する一つの大切な場になるかもしれない