よくみる

よくみることを よーくみると よくみえる

自然と共に生き 自分の中心と繋がる

春の山の暮らしは本当に豊かさや地球の恩恵を感じさせてくれる

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情報も必要だけど 必要以上の情報はいらない

それがここ数ヶ月で分かったこと

情報が溢れれば溢れる程 必要なのは自分の中心の声を聴くこと

外の情報に影響されなければ豊かな現実はここにある

豊かな状態が次の豊かさを連れてくる


仕事では田舎に興味がある人たちのサポートをしている

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田舎とは自然とともに人が暮らす場所

こんな時代 状況だからこそ
地球と繋がりのある
自然と生きる暮らしに興味がある人たちが増えている

外部から人を連れて来ることが安易にはできないけど

こんな時代 状況だからこそ
誰かがその道を作る必要がある

自然ともに生き
自分の中心とつながり
自分らしく生きる
それを体験出来る場所

僕はそういうことにやりがいを感じているから

最近は ハードルがより高くなったこの状況で

安心健康を配慮しながらその計画を立て 環境を整えている

こんな状況だから

地域の理解も必要だし
来る人も覚悟がいるし
僕らにも責任がある

だけどそれがやりたいことだからやるしかない

そう決めて動き出すと全てが上手く流れて行く

シンクロ二シティが現実を導いてくれる

コロナウイルスは一つのきっかけにすぎない

今自分の生き方を再構築しようとしている人が世界中で溢れている


一人ひとりが心から望む現実を創ることを願う

僕が他の人にできることは自分らしくいきること
その自分の暮らしの中で出来るサポートがあるなら何かしたい
最近そんなことをよく考える

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※仕事柄 田舎へ移住したい人の話を聞いたり
生き方 考え方の視点を分かち合うことをしています

もし田舎暮らしの情報やこれからの生き方で相談相手が欲しい方はお気軽にコメントくださいね

平行宇宙からみる今の日本

4月1日総理が「各世帯にマスク2枚を配布」というニュースがあり社会から大きな反応があった

その後
30万円給付 緊急事態宣言 メディアの報道 自分の反応 周囲の反応 国民の反応
から色々な未来が浮かんでくる

この施策の善し悪しやコロナパニックに対する政府の政策を分析するのは専門家に任せるとして


平行宇宙の分岐点を強く感じている僕の視点から
感じたことや見えることを共有したい

平行宇宙:コロナウイルスが蔓延する今が未来の分岐点 - よくみる
(以前の記事)

【マスク2枚と現金給付への国民の反応】

コロナウイルスの騒動が起こってから
各国の長が連日 国民の命と生活のために
政治理念と政策発表をするのを聞いていた

いざとなれば国は大きく動く
動かざるを得ない

それが全世界で起こっている今の状況で

4月1日 
諸外国とは状況は違うとはいえ
総理の「一世帯にマスク2枚配布」という報道で

ネット上では国内外から
「エイプリルフールのジョークか!?」
「アベノマスク」
という反応がたくさんあった

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ボケる総理にツッコむ人々

こんな事態に喜劇を見ているようでもあった

その後 条件付きで世帯ごとに30万円現金給付という政策や様々な支援の準備をするというを発表も目にする

それらの政策に対して 色々な見方や反応がある

自分は対象者かもしれないと少し安心する人
諸外国とくらべての対応の遅さや不明確さに腹を立てる人
政府を信頼出来ないという人
自分たちの状況の苦労が届かない政府にイライラする人
政策が根本的におかしいという人

今回の発表を聞いてあなたはどう感じただろう


【総理と政府を非難する人達から創られている現実】

これまでにも今回のようには大きく報道はされてはいないけど
一見国民にとってなんの得もならないような法案や方針がどんどん進められ
よく分からないうちに色々なことが変わっていく国の状況と
それにもかかわらずこの政権が続いているここ数年

不思議なのはこれだけ国民から非難され
国民が望んでいるとも思えない法案や方針を進めていく政府がなぜこれほど長く続いているのか

「今の政府は国民が望む政府なのか」
それが疑問だった

今回の大きな出来事に対する大胆な政府の言動と国民の反応から
これまで分かりにくかった関係性がよりよく見えてきた

例えば
総理の「マスク2枚」発言
その効果や真意はさておき
分かって来たのは国民と政府がどういう見えない糸で繋がっていたか

このままの事態が続いたら生活が出来なくなるという時に 
マスコミの偏った報道も相まって

国のトップが専門家の意見を聞きながら出した答えが「マスク2枚」ということに
今が必死な国民からすると「なぜ?」と多くの人が感じたようだ

僕の中にも複雑な気持ちが現れた
自分の中で浮かぶ気持ちを観察してみると

「あり得ない」と非難したり
「誰が何のために考えたんだ」と怒ってみたり
「これが日本の政府の現実か」と悲しんでみたり
「これはよいよ危ない」と焦ってみたり
「これは現実か?」と笑ってみたり

色んな自分が出て来た

その向かう先は
「総理」 と「今の政府」

この視点からそういう風景が見えた

その視点から
政府と自分の両者の立ち位置を俯瞰してみれるところまで
意識を広げてみる

そうすると個人の視点から
ある国民と今の政府の関係が見えてくる

「自分が政治に責任を取りたくない」 
「政治家に任せていればなんとかなる」
「何かあっても政治家に責任を取らせてしまえ」 
「いざとなれば批判すれば自分の立場は守れる」
という国民

「政治に興味を持っている層にはよく見える政治を作る」
「政治が日本を作る」
「表面上だけいいこと言ってあとはバレないように」
「政治家の立場を利用して好きにやらせてもらう」
という政治家

この立ち位置からは国民と政治家の隠れた意図がそれぞれ見えてくる

隠れた意図を持っている国民からすると

今の「総理」「政府」という立ち位置は
国民によって ピエロのように今その役目を見事に演じてくれている

国民に無関心なピエロは政府に無関心な国民に非難されながら国を運営する許可を得ている

「被害者」と「加害者」のようにも見えるが
俯瞰してみたら一緒に創っている「喜劇」

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「待ってました」という国民の声援の中 政治家も立派に彼らの役目を演じている


更にこの俯瞰した視点から辺りを見渡すと
この「喜劇」には他にもたくさんの出演者がいることが分かる

例えば
「被害者が加害者に非難すること」に対して「非難」する人達(国民)

これはピエロ(政府)の強い味方の役柄(国民)
今回のような強い批判があれば
その「非難」を「非難」する人達
が少なからず現れてくる

政策 政府 総理 に関係なく その人達は

過去になんらかの「非難」をされたことで自分の心が傷ついている

そういう人は「非難」している人の反応に絶えられない
だから「非難」している人を「非難」してしまう

「非難」と「非難」はお互いを引き寄せ
そのエネルギーは相殺される

その人達が争っている間
ピエロはピエロとしての役割を演じ続けるだけでいい

それが今のような政治的現実が続く一つの原因だ


【総理と政府を賛同する人達から見える現実】

一方で現金給付などの政策に賛同して喜ぶ人達もいるだろう

当たり前だけど施策が全く国民のためになっていないなら政府も流石に政治を続けていくことは難しい

政策内容はどうあれなんらかの人達に賛同される政策は作っているに違いない

本来であれば全ての国民にとって豊かになるようなものであってほしいけど
政治を続けていくだけであれば政治に興味がある人達にむけて賛同されれば政治家としてのポジションは保証される

少なくともこれまではその賛同者に対しての政治をするだけでよかった

これまでの状況であれば
政治に興味がない国民にとって
政治は生活に影響しないくらいでしかない
と多くの国民が思っていたのかもしれない

本当は直結しているけど
できるだけバレないように政府は自分たちのやりたいようにゆっくり状況を変えていっているようにみえる

多くの国民が政治に興味がないように 
政府も多くの国民に対しての政策を作る必要はなかったのだから

政治家は一部の人達に対してだけ政治をしてきた


【メディアに作られた日本】

この状況の中
僕も普段あまり見ないような情報番組を最近よくチェックするようになった

久しぶりにずっとメディア報道を確認していると
日本のメディアの報道の嘘っぽさが以前より強くなっている

テレビというツールが悪いわけではない
添加物をとらない身体で久しぶりに添加物を取り入れたくらいの違和感が今のメディア報道にはある

個人の情報発信や外国の情報も選んで見られるようになっているから
余計にその作られた違和感を感じるのもあるだろう

でも自分の近隣の高齢者をみると情報は殆ど毎日の新聞とテレビ

そんな人達にとってはこの作られている情報こそが真実に見えているのかもしれないと想像した

この政府とこのメディアが国民に一方的な麻痺をかけるように情報操作をすれば
多くの人がその情報操作の方向に進むだろう

そう感じた一方で
この政府もメディアも人の意識が何処かで求めていたから作られている
ということも忘れてはいけない

常に今現れていることが自分たちが創っているものなのだから


【これからの日本 これからの世界】

このコロナウイルスの影響で善くも悪くもこれまで持っていた色々なものが崩壊してくる

崩壊は同時に誕生でもある

個人レベルでも国家レベルでも
全世界でも色々なことが誕生していく

日本の政府は政治に興味がない人達にも支援する必要がある現在の状況で
これまでのように国民の豊かさのために政治をしていないのなら
それが明るみに出て来るだろう

政府はその真価が今問われている

それを一人ひとりが目にする

国民はその政府に反応して非難や批判をするかもしれない

しかし今の政府はその役割を演じるように国民から求められていた

そのことに気づかず政府を非難し続けるということは
政府にとっては現状維持をするように許可されていることに等しい

国民は非難し続ける限り
他の政府や人に入れ替わったとしても同じような現実が繰り返されることに氣づく必要がある

これまでの習慣で今現れていることに「反応」していたら
それは現状維持したいということを宇宙に許可を出していることと同じだ

「反応している対象と反応している自分は同じ現実を一緒に創っている」から

これからは一人ひとりが選択することになる


もし国民がこの状況を続けたいなら
・政府を非難する
・自分と違う意見の人を非難する
・政治に無関心になる
・何かあった時に政治家に責任とらせるつもりでいる
・今の政府の方針を支持する
・今のメディアをそのままにする
というようなことをしていればいい

この状況を変えたいのなら
・政府の政策の違和感に氣づく
・一人ひとりの考えを尊重する
・積極的に政治に興味を持ち関わる
・何が起こっても政治家だけに責任をとらせようとはせず自分たちもできることで政治に協力する
・自分達が作りたい政府を自分達の意志で創る
・公平 透明に放送するようなメディアを作っていく
という行動に変えていかなくてはいけない


この状況を変えて新しい世界を創っていくにはやることが山ほど出てくるに違いない
そのための崩壊であるならこの崩壊はラッキーでしかない

今は「反応」ではなく 「観察」する必要がある

「他人や政府や国や世界」

ではなく

「自分が今まで何を創ってきて選択して来たか」

それから一人ひとりが望む現実を創っていけばいい

平行宇宙:コロナウイルスが蔓延する今が未来の分岐点

春分の日の朝
「これから大きな変化が起こるんだなぁ」という気持ちで目覚めた

感覚的にはソワソワ ドキドキ ワクワク

色々な感情が入り交じっている

妙に落ち着きがないけど 来るべきときが来たという変に落ち着いたかんじもあり


今感じるのは

これから崩壊するものと その後再生するものを同時に感じている 不思議な感覚

自分の色々な部分が 色々な反応をしている




【混乱する情報】

世の中の 自分の 内側を反映しているのか

今 色々な情報が日々飛び交っている

メディアで流れる情報 政府の発表 自分で調べる情報 人から受け取る連絡

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どれも一貫性がなくそれぞれに接点がないこともある 

何を信頼していいか分からない そんな人も多いのではないか

こんな時だからこそ

自分から発信する情報はできるだけ自分が感じる内側から出したい

それでしか 自分の情報発信に責任が持てないから 



【平行宇宙】

「平行宇宙=パラレルリアリティ」という考えがある

いくつもの現実が同時に存在しているというモノの見方

これはスピリチュアル的な話だけではなく 物理学者も真剣に研究しているテーマ

そういう世界で世の中を見てみると

「世界中が平和で誰もが豊かになっている地球」

「難しい局面から各国が協力しようとしている地球」

「難しい局面から各国が争いを始めようとしている地球」

「戦争ばかりして崩壊寸前の地球」

など 色々な地球が今同時に存在しているという

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その中で自分がどの現実を選択するか

物理的に現実を変えるのではなく

自分が変わるとそれに合った現実に移る

という一つの見方 

この概念が本当かどうかは分からない



【別の現実に移るときに起こること】

ここからは自分が実際に体験したこと

僕は 十年程前に 大きな変化が起こった時があった

自分の内側での大きな変化

その内側の変化を言葉で描写することは難しいけど

天国から地獄 誕生から死 を短期間で体験するような

やっぱり言葉で説明するとちょっと表現し難い変化だけど

自分にはこれ以上の現実的な経験はないほど実感を伴った変化だった

その時「平行宇宙」という概念を知らなかったけど

「感覚」としては
別の惑星に来たというくらいの内側の変化が短期間で起こり「見える世界」は変わっていた

でも
「物理的な現実」は何も変わっていない

当たり前だけど
短期間に自分が変わったからといって 物理的な宇宙は魔法のようには変わらない

ただ
自分の内側の変化は 変化前の場所から大きく違う場所にいた

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ここから物理的宇宙がジワリジワリ変化していった

現実の変化はとても自然に時間をかけて起こる

季節や天候が変化していくように

だから自分が移動したとは通常体感することは難しいけど

大きな内側の変化があった時はその現実の変化は大きく動くので

平行宇宙を実感しやすい

これが自分が体験した「平行宇宙」を体感した経験だった



【今別の地球に移る分岐点】

「平行宇宙」が存在するとしたら

自分の経験的から分かるのは

「どういう宇宙 現実にいくか決められるのは自分しかいない」

今の自分の感覚や目の前の情報を辿っていく
 
内側から色々な「感覚」が生まれては消えていく
外側から色々な「情報」が現れては過ぎ去っていく

それぞれが関係ないようだけど関係あるようなこともある

「情報」から「感覚」も生まれるし
「感覚」からそれに繋がるような「情報」をキャッチすることもある
もちろんそれとは全く関係のないような「感覚」や「言葉にならないこと」もたくさんある


「平行宇宙」が存在するとしたら

今は平行宇宙の大きな分岐点にある

たぶんいつの瞬間もそうなんだけど
地球規模での分岐点というのはなかなかない
自分一人でどうすることもできないように思えるけど

実は一人ひとりに選択肢が与えられている

どの 現実 地球 に移りたいかを決められるのは常に自分

内側の変化は柔軟性があり
絶えず変化して自由である

だけど

物理的宇宙は
文字通り物理的なので一度決められると
修正するのに時間がかかったり
修正出来ないような変化もある

今一人ひとりがどう動くかによって物理的な「平行宇宙」が確定していっている

個人が出来ることによって宇宙が変わるはずないと思うかもしれないが

個人が物理的宇宙を変えるのではなく

個人が「平行宇宙」に移動するだけだとしたら

どこへ移動したいのか

別のいい方をしてみよう

今物理的に移動出来る「平行宇宙」の大きなハブステーションにいる

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それぞれの宇宙に移動できる列車の出発時刻は今だ

列車の出発は決まっている自分ではどうしようもない

それが変更出来ない物理的現実

自分が決められるのはどの列車に乗るか 目的地をどこにするか

時間は止まらない 

切符を持って行動するだけ

乗った後にも
その先に大きなハブステーションがあるかもしれない

そこでも乗り換えは出来る

だけどあまりにも遠い場所(物理的現実)が反対の場所に到着してしまっていては
引き返すこと難しい

「どの宇宙に行きたいですか?」

そんなタイミングに来ているのではないか

自分が何を決めて どう行動するか 
どの切符を持って どの列車にのるか
今決めて行動することでこれから現れる現実は全く異なる

世の中のを見渡すと
一人ひとりが持っている切符が違うようにみえる

今はそういう駅にいるのかもしれない

コロナウイルスも自分が創り出した現実だとしたら

【現実は自分で創っている】

コロナウイルスを創り出している現実も自分が望んだ現実なのか!?

時々 こういう妄想をする

「自分が現実を創っている」

よく耳にするこの言葉

頭では理解出来るし
ある瞬間に納得するような出来事もあるだろうけど

100%毎瞬その言葉の意味を体験している人は まずいないと言ってもいい

現実創造は成長のどの段階でも常に未開発の領域がある

別の言い方では

現実は
「こうやって確かに現実を自分で創っている」という領域
から
「なぜこんな現実が自分に起こっているのだ」という領域
まで
存在する

前者は
現実に対して責任を取る
後者は
現実を外側(他人や運命)に責任を求める

現象がおなじでも
視点と意識を変えるだけで同じ現実が一瞬にして違う経験となる

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責任を取るのは重みが増えるけどそれだけ現実を自分で変化させることもできる

人は人生でこの現実の幅を行ったり来たりしながら自分を成長させる

そういう見方で世の中を見た時に
どういうことが起こっているか

今世界中で多くの人が外側から自分の世界が攻撃を受けている
と体験している

「視点」「意識」を変えると世界中が成長の機会を与えられている

自分の心の声を聞いてみると
色々な言葉が現れては消える

もう一度問う
コロナウイルスを創り出している現実も自分が望んだ現実なのか!?」

ー「はいそうです」

「なんのために」

ー「あなたの 地球の 成長のためです」

「どうすればいい」

ー「あなたが創りたい現実を創ってください」

「自分が幸せ 世界が平和な世の中がいい」

ー「今がその時 そうであるように行動してください」

見方を変えると
これほど自分自身と向き合えて 世界中が世界を感じている時期はかつてない

「今創りたいように自分達の現実を地球規模で変えることができるじゃないか!」


【自分が暮らしたい地球を創る時】

現実を変えたければ「視点」を変えることと同時に「意識」も変えなければ変わらない

「視点」を変えて「意識」を変えないでより大きな領域に挑もうとする時
起こりがちなのは自分以外を変えようとしてしまう

「意識」が変わっていないから
創りたい現実を結局外側に押し付けてしまう

「私はこういう現実を創りたい だからあなたたちが変わりなさい」
では絶対に現実は望むようには変わらない

常に現実は内側の意識から変える必要がある

自分の意識が変われば
現実はその意識に合わせて吸い寄せられてくる


【心の声を聴く】

意識の根っこを無視してはいけない
そのためにまず自分自身に問いかける

問いかけるときは
思考もいいけど感情の方がより自分の信念に近い

今 
起こっている

起こっていることから何かが出てくるのなら
その感情 感覚をまず受け入れる

そこには嘘がないから思考的にみるよりはるかに自分が何を信じているかを明確に教えてくれている

その感覚はどんな占い師やマスターよりも最も心強い自分のガイドとなる

心の羅針盤を他人に委ねてはいけない

これまで自分と向き合うことに慣れていなかった人は
その癖で自分と向き合いたくないという気持ちも同時に浮かぶかもしれない

それならそれも受け入れる


【最終的に必要なのは自分を受け入れる「覚悟」】

「こんな現実がなぜ自分に起こるのだ」
は自分の現実を創造する限界点を知らせている
つまり
「あなたは現実を今のように体験し続けたいですか」
「この現実を変えたいですか」
と現実から問われ選択権を委ねられている

自分が創りたいように創れば現実はそのようにしか変化出来ないから

もし
「今の現実をよりよく変えたい」
「よりよい地球に暮らしたい」
と選択するなら
少し重い腰を上げて責任の領域を広げ
そのように行動しなければならない

難しくはない

これでしかダメだというメソッドはない

まずは「覚悟」一つが必要


【覚悟から行動へ】

最初は小さなことからでいいから自分の創りたい現実に向けて行動してみる
頭で決めるだけでは本当に選択しているかどうか人には判断しづらい

本当に自分が望む現実を選択しているのかどうか知るために一番の簡単な方法は「行動」

まずは小さな行動でもいいから自分が決めた信念から
自分が望む現実に向けて小さな行動をしてみる

本当に決めていないならその行動に心の動揺がおこる
本当に決めていたらその行動になんの抵抗もない

それができたら
今度は前より少し自分が望む現実に向けて領域を広げて行動してみる

その行動には少し勇気がいったり 
場合によっては望む現実のはずなのに
自分に言い訳をしてやりたくなかったりするかもしれない

逃げたくなるならその意識が今の現実を体験させているのかもしれない

再度感じてみる

自分が望む現実を創りたいか
今のままでいいか

現実は常に自分に選択を聞いてくる

恐さや不安が出て来るかもしれない

出てくれば素直に受け入れる

恐れがなければ

再び

「行動」「覚悟」

覚悟と行動

この繰り返し

逃げなければ必ず現実は自分が創りたい現実に向けてサポートし続ける


コロナウイルスを創り出している現実は地球で暮らす人への共通の問いかけ

今ここから
どういう自分になり
どういう地球で暮らしたいか

香りを楽しむ食事会

知覚を解放する食と空間体験「解食」

今回のテーマは「雨水の香りと食」

自分の経験したことを伝えていくのが楽しい
空間も意識も食も

やってる内容は変わっても
やりたい軸は変わらない
だったら全ての経験を融合していこう

何をやっても自分が経験したことを繋げていく

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もっと 

暮らし−食−空間−知覚 
を連動させていきたい

と妄想

田舎暮しのすゝめ:心構え

僕の仕事の一部は

田舎へ移住したい人のサポートやアドバイス

そんな経験から分かることをシェアします



【田舎暮しする人の最初のハードル】

田舎で暮らしたい人は年々少しずつ増えている


情報発信や情報を得やすい時代になっているから


田舎暮しに興味があるなら
前よりは田舎暮らしのハードルが低くなっていると思う





僕は田舎生まれ
田舎育ち
だから
田舎の人の気持ちはよく分かる


田舎から都会に出る人の心構えのハードルはあまり高くない


社会が都会中心の価値観だから
田舎から都会に出る若者を社会や家族も応援しやすく
田舎の若者は後押しされるように都会に出てきやすい


逆に 都会から田舎に移住や就職を考えている人の視線は
賛同よりも
珍しく見られことが多いという話は時々耳にする

人によっては

理解されなかったり
心配されたり
否定されたり
するらしい


同じように一度都会に出た田舎の人は
田舎に戻ってくると負けたような感覚になる人もいるらしい

この場合は世間がどう見ているかということを
自分が意識しすぎて自分で自分の足を引っ張っている


そんなこんなで

田舎→都会
よりも
都会→田舎
の方が
ちょっとだけ行動に勇気がいる みたいだ



【田舎暮しはクリエイティブ】

僕は田舎から出て都会 海外でも生活して
回り回ってUターンで田舎に戻ってきた


何の抵抗もなく




抵抗がなかったのは
社会がどう見ているかという視点よりも
自分で経験した視点の方が信じられ 
客観的に判断出来るようになっていたから
自分の判断に何の疑いもなかった



僕が戻ってくる時の視点
自分の経験から田舎を見た時に感じたこと

こんな都会的な思考の時代だからこそ

田舎に残っている文化や自然に備わっている本質の方が
今の社会に求められている


「田舎は都会にいるよりも創造性に溢れた場所かもしれない」

久しぶりに田舎の地元で生活していた時にそういう直感があった


それは間違っていなかったと今は更に明確に感じる

都会に暮らしていると当たり前で気づきにくいけど
都会は既製品に溢れている


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何か欲しいと思った時に
モノやお店の情報が頭に浮かんだり
何処で何を手に入れようという発想が出てくる


自然の素材を手に入れるにもお金が必要で
自然を感じられる場所を探すには公園や港に行くしかない
でもそれですら人が手を加えた環境


都会に暮らしていたときはそれが当たり前になるけど
田舎で暮らしはじめるとその環境の不自然さに氣づき驚愕する


物を創る人達が集る環境が
その物で囲まれているのだ


極端に言えば創られるものの発想が人工物から生まれる
更にその人工物は人工物から発想されたもの
更に、、、、


都会に住む人はその異常さに氣づかないと危険だ


僕もそうであったけどその環境に入ってしまったら本当に氣づきにくい




もちろん田舎で暮らしていても
今の時代情報検索も何処でもできるし
ネットで注文すれば都会と同じように直に届く時代
なので都会的な発想にもなる環境だけど


田舎は圧倒的に自然


だから都会に比べると圧倒的にプリミティブな感覚も残っている


場所によってはその感覚でまだ暮らしている人達もいる
日本の原住民のような暮らし?!


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それが一周回ってトップランナーだったという感覚は
一度都会に出て帰ってきた田舎者には衝撃的だった


料理 
住居 
山 川 海と関わること
自然を使ったあらゆる知恵
自然と人間が共存する里での暮らし
神仏の信仰

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上げればきりがないけど


頭の中での情報整理ではなく
素材を通した感覚の対話が必然的に起こるのが
田舎の環境

暮らしの中で実践し 学ぶのが
田舎暮し


周りの人達も
経験して知っている知恵を
惜しみなく共有してくれる

科学技術だけでは高い意識の文明は創られないのは明らか
科学技術が進化するほど 
昔の暮らしにあったような自然と調和するような精神性や感覚と融合が必要な時代

都会と田舎が認めあって共存している世界

そういう直感があったから

自然の中での暮らしを選んでいる


【自分の感覚を信じる心構え】

たぶん都会に住んでいる人も

「満員電車の中ではなく・・」

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「自然の中に自分が求めているものがある・・」 

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「何かやり方があるなら自然の中で暮らしをしたい」
「何らかの方法で自然と繋がりがある暮らし方に変えたい」

と感じる人はたくさんいるような氣がする

若いときの僕がそう感じていたように
都会の環境が自然よりも心地よいように感じる人もいるだろうけど

都会で人工物が心地よくかんじるのは
自然に近づけている環境で起こっていたり
別の視点に目をそらせている場合が多い


人間も動物

心地よい環境は本能で感じている

そう感じた人達は
色々考えているはず

それでも自然と関わることにまだ距離があるのなら

そういう情報が少ない
まだまだ入り口が少ない

それに加えて
ちょっと勇気もいるから

マイノリティーが苦手な日本の民族性があるから
いいなぁと思ってもやっている人が少ないうちは
行動に移すことにちょっと腰が重い
それはよく分かる

でも
そういうときだからこそ
もし行動に移せたらその行動だけでも価値がある

僕の周りにたくさんいる
「何年越しの想いを叶えるために田舎に来ました」
と言う人はみんなイキイキしている

そしてはじめた田舎生活の楽しさに
なんで今まで行動しなかったんだろうと不思議に思う

「行動出来ないのは自分の幻想」

やりたいと思ったことを信じて行動に移せる人が得られる経験

行動に移しても修正ややり直しはいくらでも出来る

やって後悔することはないけど
やらない後悔の方が取り返しがつかない

田舎暮しに必要なのは

「自分の感覚を信じる心構え」
だけなのかも

落ちることに飽きたら前を向く

【不幸は日常に溢れている】

前回厄年のことを書いたら
yokumiru.hatenablog.com


これぞ厄年ということが起こった

その日は出張で遠方に行くので
雨の早朝の暗闇を少し急いで車を運転していた
前の日からの強雨で山から転がって来たであろう大きな落石と正面から衝突

「はぁ〜やってしまった」と思いながら
翌朝 車屋さんに車を見てもらおうと走行していると途中でオーバーヒートのような状態で
ぷっすん ぷっすん
そのまま入院(車が)

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車屋さんに持って行って診断してもらうと

「みてみないと分からないけどもしミッションの部分に異変があったらかなり修理に(お金が)かかりそうですね」
とのこと

はいはい来ましたね〜
これぞ厄年の威力ですかね!?
なかなかのパワーでした
自分がもっと氣をつけていればよかったんだけどね
そんなこんなもあって その日はまぁまぁ心がやられました

「もう少し早く出て心に余裕があれば」
「なんでもっと氣をつけなかったんだろう」
「厄年はこんなことが続くのかなぁ」
「お金が一気になくなるわ〜」

妄想の言葉が次から次へと沸いてくる
モンモン モンモン モンモン
でもそんな妄想もひたすらするとそんな自分を俯瞰してみる瞬間がある

【氣づきのタイミングが来たら前を向く】

俯瞰してみると自分がいかにずっと妄想の中で時間を過ごしていたかに氣づく
そうなるともういい加減自分でもクヨクヨせずに立ち直りたい

そのタイミングが来たら重い腰を上げて
エイや!と意識を別のところに向ける

過去に引っ張られず 今を生きる ということだけど
実際にやるとなると引っ張られるエネルギーが大きければそれは簡単ではない

でもこれができれば自分の妄想で苦しまずに生きることができることを今回再確認できた
↓それはこんなかんじ

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僕の場合は意識を向けることを
事故よりもより大きな求心力を持っていることに向けた

仕事をやっているときは仕事の中でもやってて楽しいこと
休日は時間をとってやりたかった空間づくりやこれからの計画など
自分が楽しくて没頭できることに向き合った

【逃げるじゃなく 捕われない】

起こったことに目を向けず
やりたいことをやることは一見原因から逃げているようにも見えるけど

逃げることと捕われないことは大きく違う
逃げている時は原因から離れているけど
捕われていない時は原因と向き合いながら影響を受けない状態

捕われなくなるためには
一旦原因と向き合って受け入れなければいけない

言葉で説明すると難しそうだけどやってみて学べば難しいことではない

やりたいことをやっているだけでいいのだから

なぜやりたいことをやっていると逃げずに原因から捕われなくなるのか

それは妄想は思考を使って自分で作っているものだから

やりたいことをやっているとき思考は不幸な妄想ではなくやりたいことに向いている

思考ではなく感覚に没頭していたりする

だから不幸な妄想をする暇がない

僕の場合
事故をしたという事実は変わらないから事故とは向き合う

その事故から
自分を責めたり
お金が減ると考えたり
落石についてあれやこれや考えるのをやめる

というよりやりたいことをやっていたら妄想をしている時間がなくなったと言った方がいいかもしれない

だから事故をしたという事実はかわらないから事故処理の色々な手続きは淡々とするけど
やりたいことが面白くなると妄想に捕われている暇がなくなる
現実と妄想は離れ
事故に捕われていた自分は完全に何処かにいってしまった

そんなことよりやりたいことで僕の意識は忙しいのだ

これが厄年の学びですね