よくみる

よくみることを よーくみると よくみえる

落ちることに飽きたら前を向く

【不幸は日常に溢れている】

前回厄年のことを書いたら
yokumiru.hatenablog.com


これぞ厄年ということが起こった

その日は出張で遠方に行くので
雨の早朝の暗闇を少し急いで車を運転していた
前の日からの強雨で山から転がって来たであろう大きな落石と正面から衝突

「はぁ〜やってしまった」と思いながら
翌朝 車屋さんに車を見てもらおうと走行していると途中でオーバーヒートのような状態で
ぷっすん ぷっすん
そのまま入院(車が)

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車屋さんに持って行って診断してもらうと

「みてみないと分からないけどもしミッションの部分に異変があったらかなり修理に(お金が)かかりそうですね」
とのこと

はいはい来ましたね〜
これぞ厄年の威力ですかね!?
なかなかのパワーでした
自分がもっと氣をつけていればよかったんだけどね
そんなこんなもあって その日はまぁまぁ心がやられました

「もう少し早く出て心に余裕があれば」
「なんでもっと氣をつけなかったんだろう」
「厄年はこんなことが続くのかなぁ」
「お金が一気になくなるわ〜」

妄想の言葉が次から次へと沸いてくる
モンモン モンモン モンモン
でもそんな妄想もひたすらするとそんな自分を俯瞰してみる瞬間がある

【氣づきのタイミングが来たら前を向く】

俯瞰してみると自分がいかにずっと妄想の中で時間を過ごしていたかに氣づく
そうなるともういい加減自分でもクヨクヨせずに立ち直りたい

そのタイミングが来たら重い腰を上げて
エイや!と意識を別のところに向ける

過去に引っ張られず 今を生きる ということだけど
実際にやるとなると引っ張られるエネルギーが大きければそれは簡単ではない

でもこれができれば自分の妄想で苦しまずに生きることができることを今回再確認できた
↓それはこんなかんじ

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僕の場合は意識を向けることを
事故よりもより大きな求心力を持っていることに向けた

仕事をやっているときは仕事の中でもやってて楽しいこと
休日は時間をとってやりたかった空間づくりやこれからの計画など
自分が楽しくて没頭できることに向き合った

【逃げるじゃなく 捕われない】

起こったことに目を向けず
やりたいことをやることは一見原因から逃げているようにも見えるけど

逃げることと捕われないことは大きく違う
逃げている時は原因から離れているけど
捕われていない時は原因と向き合いながら影響を受けない状態

捕われなくなるためには
一旦原因と向き合って受け入れなければいけない

言葉で説明すると難しそうだけどやってみて学べば難しいことではない

やりたいことをやっているだけでいいのだから

なぜやりたいことをやっていると逃げずに原因から捕われなくなるのか

それは妄想は思考を使って自分で作っているものだから

やりたいことをやっているとき思考は不幸な妄想ではなくやりたいことに向いている

思考ではなく感覚に没頭していたりする

だから不幸な妄想をする暇がない

僕の場合
事故をしたという事実は変わらないから事故とは向き合う

その事故から
自分を責めたり
お金が減ると考えたり
落石についてあれやこれや考えるのをやめる

というよりやりたいことをやっていたら妄想をしている時間がなくなったと言った方がいいかもしれない

だから事故をしたという事実はかわらないから事故処理の色々な手続きは淡々とするけど
やりたいことが面白くなると妄想に捕われている暇がなくなる
現実と妄想は離れ
事故に捕われていた自分は完全に何処かにいってしまった

そんなことよりやりたいことで僕の意識は忙しいのだ

これが厄年の学びですね

厄(負)を好転させる

年の始まりは毎年近くの海に初日の出を見にいく


自分が生まれる前の日も両親は海をみにいったと
それで僕が生まれて名前に「洋」をつかった という話


だからでもないけど
年の始めは日の出を海でみたくなりそれが恒例になっている

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日の出

朝日はみるだけでパワーをもらう
お天道さまってすごいなぁ


今年はどんな一年になるか
1月はそんな想像をしたくなる月


僕の場合は今年は厄年

厄年がどうやって出来たか分からないけど
悪い運気をあらかじめ設定されているかんじは
僕は居心地よくない

年の始めにちょっと出鼻をくじかれる


【厄年ってなに?】

「厄年ってなんなんだ〜!?」
と 去年も前厄の時にかんじたけど

今年は昔から作られている設定をなんとなく取り入れる前に
人生の中で数回しかない機会に
厄年と向き合ってみることにした

厄年はよく分からないけど
「厄」と決められているだけで
少しビビる そして気分的になんだか やられてしまう 
僕のような日本人にはそれくらいの影響力を持っている

そう考えると「厄年」の風習はすごい
もしかしたら人のバイオリズムの中に厄が巡る歳回りがあるのかもしれない
でも
そういう厄年の本質は伝えられずに
風習・習慣だけ受け継いで「厄年です」って決められているだけでどうすることもできないのが今の日本人

僕もよく分からないまま 

その「厄=負」の存在をよく感じてみると

厄年

悪い事がおこりそう

意味も分からず不安・恐れる

不安・恐れで反応

不安・恐れの現実を体験

という流れを心のどこかで作ってしまっていた

厄年にどういう意味があるかは分からないけど
自分で作ってしまうこのネガティブな流れだけはなんとかしたい

逆に言えば 
自分で作っているものであれば
どんなことであれ 
必ず自分でなんとかできるはずだ


【ネガティブ感情も優秀なセンサー】

そのためには内観する必要がある
内観して自分の中で何が起こっているのか突き止める

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「不安」の発生源は
「未知=無知」から来ている
分からないから不安になる

でも不安になることは悪いことではない

むしろ頭では捉えきれていない「未知=無知」があることを
潜在的に察知して感情として「不安」という反応を作ってくれている

その「不安」は魂からのメッセージを受信して反応している
優秀なセンサー

だから「不安」を無視してはいけない
「不安」と友達になるとこれほど心強い友はいない

これは「病気」の仕組みで同じだ

体であれ心であれ病気になったら
表面上だけ治すという解決は根本的な解決にならない

「病気」はその原因を知らせるために体や心が伝えてくれるメッセージ
例えば生活習慣病といわれる病気にかかりその病気だけなおして
同じ生活習慣を病気が治ってから続けていても体は同じようにメッセージを出し続ける

そういう物の見方をするようになると
起こっている全てのことに意味があり 
悪いことは何も起こっていないということが分かる

その仕組みが理解できるだけで少なくとも
「不安」という感情を恐れる必要はない


【「なんでもこい!」の覚悟を持つ】

「不安」を恐れる必要はなくても厄年だから何かが起こりやすいのかもしれない

厄年には何らかの意味があり

厄年は災いが起こりやすい歳回り
昔の人がその歳の巡りをメッセージとして残してくれた風習
かもしれない

だとしたらどうする?

たぶん対処法は
「それで?」
という態度

そもそも「災い」ってなんだ!?

全く同じことが起こっても人によって
「災い」の定義が違うと体験も違う
毎日「災い」ばかり起こるという人もいれば
毎日「学び」があり勉強になるという人もいるだろう
そう考えた時に「災い」はその人の気持ち一つでどうにでも変化することが分かる

その気持ちを作っているのはもちろん自分
じゃあ その「気持ち」は何によって変化するのか

「覚悟」

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何でもこい!という「覚悟」を持っている人は些細な「災い」を体験したところで
その人にとって「災い」は「災い」ではなくなる
そういう人はむしろ「災い」をポジティブに変換する力を持っている
「覚悟」を持つだけで同じ現象が起きても経験することがひっくりかえる

なんでもそうだけど
逃げ腰になるだけで
自分の力は発揮できず負けてしまう

「覚悟」がある人は逃げ腰にはならない
でも「覚悟」がなければまず自分自身に負ける

自分自身に負けると
相手やその場にも負ける
そして全てに負ける

厄年にもきっと同じことが起こる


厄年と病気は向き合い方が似ているかもしれない
病気の人がその病名を聞いただけで
精神状態が追い込まれる 
一気に老け 弱る 


【癌との向き合い方】

日本人の2人に1人は癌になり 3人は癌で死亡する
僕の家系や周りでも癌になる人がけっこういる


身近では祖父も母も癌になった
祖父のように癌でなくなる人も多いが
母は癌を自然療法で完治させた
もちろん病気の進行具合によっても違うが
同じ病気になっても人によってその態度や病気に対しての関わり方がまるで違うなぁとつくづく思う

僕も周りのおかげで
癌の治し方や病気の向き合い方に詳しくなった

癌になった人たちの中で癌を根本から治せる人は
癌をメッセージとして受け入れて自己改善をする人達みたいだ


病気は体を通して魂が伝えてくれる一つのメッセージ
そのように受け入れられたときに
病気を自分に被害を与える悪い現象からポジティンブな現象に変える事ができる
そのメッセージに氣づいた人は病気も結果として治ったりする
メッセージに氣づいた人でも100%治らないのは病気を通して経験したい事が魂によって違うからだと思う


魂はいつでもありとあらゆる方法で内側・心の原因をみるようにメッセージを送っている
それが自然の摂理だから

だから病気に対して表面上の対処をしたところで
根本と向き合わなければ
治しても再発したり別のカタチ(病気や同じような類いの現象)でメッセージを送ってくる

この見方をして 行動出来た人は大病や災難も完治させる可能性があるのをみてきた

病と向き合うとき
その人達は自分自身と向き合う

そういう人は癌であれなんであれ
その「厄」が回ってきたことで人生が好転したりする

人の「厄」の向き合い方をみていたら
その人の人生観が見えてくる

僕の場合は今年は厄年

厄年が何か分からないが
分からないなりに「覚悟」を決めた

正確には瞑想していると「覚悟を決めないといけないよ」というメッセージを受けた

「覚悟」を決めた時に
厄年でも僕は悪い影響は受けないなとはっきりわかった

それは例え何があってもそのことと向き合い受け入れることが出来るから

誰かが作った厄年という設定よりも
僕の「覚悟」のエネルギーの方が上回っているときに僕は厄に負けることは決してない

「覚悟」についてはもっと書きたいことがあるけど
長くなるのでまた次回

九州ツアー:異次元の旅

キャンプ道具を持って九州に1週間の旅に行ってきた

小さい頃から家族や学校の修学旅行でもよく行ったけど何回行ってもまた行きたくなるエリア

行く前に会えそうな友達には声をかけることにした

福岡に移住したシンジ君ヒサエちゃん夫妻に連絡をしてみると
僕   :「僕が九州に行った時に一緒に行きたいって場所あったよね?どこだっけ?」
シンジ君:「あんでるせん

なんともメルヘンな名前
聞くと完全予約制の4次元パーラー(喫茶店)らしい
あやしい〜 笑


店主がショーをしてくれるということだが
シンジ君からは「あんまり調べないで体験してほしい」ということなので調べないで予約を取ろうとしたら1ヶ月以上前なのに既に予約でいっぱいとのこと

そう言われるとよけいに行きたくなる〜
旅の計画を少し変更してなんとか行けそうな日程で予約を取ることができた
シンジ君達とその友達夫妻も一緒にとれた

予約がなかなかとれないお店なのにその日はなぜかみんなが予約がとれた
呼ばれてる感ありますね

1ヶ月前から何も情報がないあんでるせんに行くことを考えると不思議とワクワク
何も知らないのに
調べてないけどめっちゃワクワクしてるのは僕がシンジ君ヒサエちゃん夫妻を信じてるからなんだろうなぁ

というわけで 九州ツアーは「あんでるせん」から始まった

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友達夫婦との再会もでき
いざうわさのお店に潜入

11時からオープンして注文した後に数時間の待ち時間

店内には各界の著名人の写真がずらりと色んな意味でズレているもに溢れている
きっとこれも次元をズラすスイッチとして組み込んでるのかなぁと思いながら散策

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長い待ち時間の中 机になにげに置いている知恵の輪をみんなでやったり
久しぶりの友達とお話をする

シンジ君は3回目予約して2回これたらしい

1回来られなかった時はお店から電話がかかってきて
「14名でなく12名ですよね?」
と確認されたらしい

「14名ですが」と答えたけど
店主は「おかしいなぁ12名のはずなんだけど」と言って電話が切れたそうだ

その後 友達のお母さんが入院して友達夫婦は行けず12名になったという話をきいた

ムズムズと何かが始まる予感!

14時になると店主が出てきてショウが始まった

このショウの内容を言葉で説明しても面白くないので詳しくは書かないが

店主がたくさんの持ちネタの中からジョークとマジックで楽しませてくれる
店主は本業のマジシャンではないだろう
なぜならマジックは僕でもマジックだなと分かるものがあるから

でも時折みせてくれる
明らかにマジックの限界を超えている次元が違う現象を見せてくれた

店主に選ばれた人は透視や予知をして具体的なアドバイスや人生の道筋を示してくれる

なるほど これを体験したくてこんなにも予約して来ているんだなぁ

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ちなみに僕がもらったアドバイス
「創ることがあってるよ 先生もいいですね」
とメッセージをいただいた

「創ること」はよく言われて 自分でも合っていると思っているから何らかの表現をしていきたいと思っていた

「先生」は僕なりの解釈だと人に経験を共有してその人がその人らしくいられるようなガイドをしたいと思っているのでそのことかなと想像を巡らす

どちらも 今の延長上にあるような気がする

ぼくはショウもそうだがこの言葉で後押しされることを受け取りにきたような気がした

遠方からこんなに予約までしてくるのはやはりここでしか経験出来ないものがあるから

ここは呼ばれてる人が行くような場所なので行きたい人はまずは予約から挑戦してみてほしい

予約は午前8時から
ショウの目の前のカウンターは2ヶ月前午前には一杯になるようだ

自分を傷つけない

「生きたくない」という人は
 1:自分が安心出来る環境を整えるということを前回書いた

yokumiru.hatenablog.com



次にすることは
2:「自分を傷つけることをやめる」

これは なかなか分かりにくいクセ
クセとは無意識にやっていること
自分のクセは自分では分かりにくい

何より自分をわざわざ攻撃したいと思って攻撃して苦しんでいる人はいないので
このクセで苦しんでいる人は自分で止めることが難しい

でも自分と同じようなクセを他の人が持っていたら客観視できて分かりやすい
「この人自分で自分を責めているだけだよなぁ」
「でも同じようなことを自分もしている、、、あ!」
みたいな

多くの人は大なり小なり自分自身を傷つけている何らかのクセを持っている

大きいものは明らかに分かりやすく自分でも直ぐ分かるし他の人も指摘しやすい

それより小さいものは少しずつ自分を傷つけたりする
少しずつ傷ついていつのまにかどん底になったり怪我したり
そこで初めて
「自分で何をやっているんだろう」
「変わろう」
と自分のくせに氣づき 止めていき クセを少しずつ手放すことができる

まだどん底になっていない人は自分を少しずつ傷つけていることは本当に見えにくい
だからまずそのクセに気づく必要がある

もちろん 手放したければ

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逆に言えば他の人から見たら 「なんでそんなことをしてるの?」と思うようなことでも
本人は実はそこまでどん底になっていないので氣づいていない
ある意味そういう人は他の人よりタフだ
だから本人は気づくためにそういう自虐的な経験をしていたりしている

だから実は困っている人は誰もいなかったりする

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この広い視点に立てば
喜劇のようなことで人は苦しんでいたりするので
実はいつでも誰もが「大丈夫」なんだけど


とはいえ殆どの人が
無意識に攻撃している
ジワジワ攻撃している
自虐的なクセを知りたいと思う人の方が多いと思うので
氣づくことに少しでも役立つコツをシェアしたい



1:自分が安心安全だと感じる環境を作ったら
好きなことをやり 合わない人からは離れる - よくみる

心が静かになる
外からよけいな影響を受けにくいので
自分自身に対して攻撃している
これまで隠れて見えなかった(見ようとしなかった)動きに氣づいてくる

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まずは
一日の中で少しでも自分と向き合う時間をつくってみる
そんな時は更にできるだけ外の影響を受けない空間の方がいい

例えば
僕は毎日朝晩1時間ずつ瞑想をしている
その瞑想では
「出て行く息 入って来る息をただ観察する」だけ

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この瞑想は太古からある瞑想らしい
すごくシンプルだけど真剣にやるととてもパワフルな方法
呼吸は意識と無意識、身体と魂の両方に繋がっているから

本人の覚悟次第で心の奥深くまで入ることができる
とはいえ一日2時間程度の瞑想ではそこまで深くは入るのは難しいけど
自分が無意識にやっている思考行動に氣づいたり
自分の反応が手離れ感覚的に生きることがやりやすくなる

10年僕がこの瞑想をやっているのはその必要を実感しているからだけど

他にもクセに氣づく方法はある
例えば
書くこと
同じく自分と向き合う時間を作る
苦しみを持っている人であればその時影響している反応が強いものなどが自然に浮上してくる

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それは言葉にならない感情 理解出来ない思考 だったりするかもしれない
不快な感覚 思っても見なかったイメージ だったりするかもしれない

それらの印象をただ書く

反応が起こっていることであれば一つの出来事の一部始終を書き終えるところまで書いてみる

一通り書いてみたら少しかく前からくらべてなんらかの氣づきがある
少し客観視できたり
ちょっとスッキリしたり
ポジティブな視点を発見したり
解決策が見つかったり

根深いものは一度書いただけでは全く変わらないことも多い
そんな場合は
もう一度戻ってはじめから終わりまでもう一度書く
同じ内容を書いても意味がないと思うかもしれないけど
書いている内容は関係ない
大切なのはただ書くこと そして感じること

書くことのいいことは
考えるよりずっとゆっくりしたスピードなのでその経験を感じたり見つめることができる
感じる経験することが自分に氣づくためにはなくてはならないプロセス

一度書いてもまだ同じ感情や苦しみは絶えず出て来る
でも何度も何度もそのことを繰り返しているウチにその苦しみは経験と共に手離れていったりする



氣づくためには色々なやり方があるのでその人の直感でやってみるといいけど
やりかたはどうであれ
氣づくためには経験して実際に感じることが必要なので
自分がその時感じているかどうかをチェックしたらいい

頭で理解した氣づきも自分を理解するためには有効だけど
それで手放すことはなかなかできない

苦しみはその対象に抵抗して距離をとってしまうと起こる
距離をとることで苦しいと感じる人はその幻想を持ち続けることをしている
なので苦しみを手放すには抵抗せずにもう一度その出来事から離れず受け入れる必要がある

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経験することが最もパワフルで簡単な氣づきの近道
というかこれしかない

瞑想したり
書いたり
自分がやっていることに氣づいてきたら
次は手放すだけ

だから手放す

手放すを頭でやってもできない
どれくらいその人が強く握っているか
意識のどのあたりで創っているかでその手放し方は色々ある

共通することは頭で理解するだけでなく経験すること


僕にはやりたいことが一つだけある

それは自分の経験を分かち合うこと
そのきっかけがこんなところでできたら嬉しいと思って続けている

文章ではきっかけくらいしか伝えられないけど
経験する方法は色々あるのでそのうちまた共有したい


続きはまた今度

自分を守る環境を作る

前回のつづき
yokumiru.hatenablog.com


「生きたくない」という人がまず必要なことは心の平安の確保です

生きたくないと思う経緯や状況は色々あると思うけど

「好きなことをやり 合わない人からは離れる」
ということを僕は常に意識して生きている

そう言い切ってしまうと「なんて自分勝手なやつだ」と他の人から思われそうと
実行することを躊躇する人もいるかもしれない

でもそういう人ほど実践した方がいい

これは
自分が主張できずにおどおどしている人
周りの目を気にして生きてしまいがちな人
そういう人に向けてへのメッセージでもあり
子どもの頃の僕自身に対してのメッセージでもある
僕は子どもの頃そんな意識で生きていた

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僕はまだ小学校に入る前にいじめられていた
いじめっ子から隠れるためにしばらく周りの目ばかりを気にしていた時期が長かった
だからそんな人の意識状態はよく理解出来る

僕は物心つく前からそういう環境そういう意識で生きていたので
気づいたら周りに合わせるのが当たり前になっていた

そんなビクビクしている時は少しでも自分の意見を言って
それが大多数の意見と違うことが一番の恐れだ
「目立ってしまうとやられる」
本能でそう信じていた

だから自分の意見や気持ちよりも他人の価値観を優先することが当たり前だった

それを何年も続けて分かったのは
他人の価値観で生きていたら自分の力は発揮出来ない
という当たり前の結果

そして他人に合わせていると人に優しくなれるかというと それも逆だった
自分の貧しさや無意識のストレスやトラウマは
自分を傷つけてしまうだけでなく
他人も傷つけてしまうという
そんなことを繰り返し学んだ

そこで学んだ経験は今となっては僕にとって自分を作っている大切な経験

その学びから得たことが
「好きなことをやり 合わない人からは離れる」

自分はいつも攻撃されている
自分は弱い立場にある
やりたいことあるのに人の目を気にして躊躇する
と感じている人は何よりもまず自分を守ることを優先的にやった方がいい

中途半端に守るのではなく
徹底して守る
できない時はいつでも逃げればいい
とにかく自分が安心して暮らせる環境を何よりも優先して作ってほしい

特に家族 自宅 知人 職場の関係で
自分が攻撃を受けて自分の心が小さくなっているように感じている人は
もしその相手と勇気を持って対話できるのなら
自分がその人の発言や行動で自分が小さくなっているという自分の気持ちを正直に相手に伝えてみる
相手が心ある人であなたのことを思いやってくれる人であればきっと協力してくれるはず
その相手も実は心にトラウマがある人なので直には変われないかもしれないけど
そんなあなたの言葉が相手にはきっと響くはず

もしそれを言っても変わらないとあなたが見切ったならば
そういう人や環境からは離ればいい
そういう人と一緒にいてもあなたにも相手にも社会にも豊かになる関係は作られない

たとえそれが親だとしても
そういう親からは離れたほうがいい
たとえそれがあなたが大好きな相手であっても
そういう相手からは離れたほうがいい

それが一時的であってもいい
とにかくあなたの心の平安を第一に行動することが必要だ

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そしてあなたの心が豊かになり
攻撃してくる相手から影響を受けないくらい強くなれば
その時は同じ人と出会っても相手は同じようにはあなたに関われなくなる
少なくともあなたが変わればその相手がどうであれあなたの人生には影響することはない

「好きなことをやる」というのは心が豊かになった次のステップ

自分の心が豊かになると
初めて自分の魂が喜ぶ声が聞こえてくるようになる

自分が満たされている人は他人にも優しくなれる
自分も満たされ他人も満たされることに近づくと魂の喜びにも近くなる
そういう時に作られている関係は相手ともより自然な関係性が作られ相手との生産性も最も高まる

自分が満たされていない時に無理矢理好きなことをやろうとすると
満たされない欲求を満たすための好きなことをするようになる
それでももちろんいいんだけど
実はそれは遠回りなやり方

順番が逆だとこじれてしまいやすい

1:自分を攻撃する相手から離れ
2:自分自身も攻撃することをやめ
3:自分を満たし
4:好きなことをする

今回はまず1のお話でした

続きはこちら
yokumiru.hatenablog.com

もう生きたくないあなたへ

ちょっと重いタイトルですが響く人が一人でもいれば

「もう生きていたくない」

すごく身近にその言葉を聞いた

その人の辛さを感じ
自分の力の無さを感じ
世の中にはきっと同じようなことを感じている人が知らないだけでたくさんいるのだろうと思った

今はただ自分に何かできることはないかなと思って書いています

もう生きていたくないと言った人は
ずっと不幸な経験をしている人ではない
むしろその人から「幸せ」という言葉を耳にする方が多いくらい
そして懸命に本当の自分の生き甲斐がなんなのか 
行き当たりばったりだけど一生懸命生きている

そんな人がもがきながらずっと心の中にあり続けるのは

自分には生きている価値が無い
自分は出来ない
何のために生きているのか分からない
やりたいことが分からない
将来が不安
という否定・不安の連続

ちょっとだけど ずっと持ち続けている心の声や痛みが溜まり
発作的に「もう生きていたくない」という言葉で出てきたようだった

日頃から聞いている悩みを一つひとつ耳を傾けたり
時にはその人が自分と向き合えるようにそっとしておいたり
できるアドバイスはしていたつもりだけど
他人が感じていることは100%分からないからいつも会話をして手探りでかんじていたけど

その言葉を聞いて本当にどうしようもないくらいの苦しさなんだと心に刺さった

そして僕の中にも同じように苦しみを感じている心の部分がきっとあると思った
僕にも過去に同じような苦しさと向き合った時期があった
その時ぼくはどうやって抜け出したんだろう
その経験をその人と分かち合うことはできないのだろうか

僕からみると素敵なその人でさえこんな大きな苦しみをかかえているくらいなら
同じように「もう生きたくない」って思っている人が今日本に 世界にどれくらいいるのだろう
もしかしたらそう思わない人の方が少ないくらいなのかもしれない

自分ができることでやれることはなんだろう
できることをやろう
僕自身も救いたいから

他の人の感じていることや経験を変えることは決してできない
だからいつもそういう時は僕の経験をシェアすることから始める
その人が苦しみから抜ける経験が出来る時は 僕は少し離れて見守る
心の深部の経験はとても神聖で他の人が介入出来ない場所だから

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世の中をヨクミル 生き方をヨクミルために 自分をヨクミルために
一人でも誰かの役に立つなら僕が苦しみから抜けた時の話を思い出しながら時々書いてみたい

yokumiru.hatenablog.com

シンクロニシティは多発している

前のブログで目標を立てる
スイッチを入れる
という記事をかいた 

yokumiru.hatenablog.com


実はポジティブなシンクロ二シティを増やしたい人には役に立つ内容かもしれない
僕は時々何処からともなく「これを人に伝えてね」的なメッセージが降りてきやすい体質らしく
それもあってこのブログを始めた

それはさておき
目標を立ててアンテナを立てると 日々目標につながるような現実が多発する

今はまだほんの些細なことだったりするけど 
「あ コレやりたいことにつながる!」ということが目の前で起こるのを目の当たりにするのは面白い

正確には
目標につながるシンクロニシティが多発していることに”氣づく”

実は自分がより豊かになるためのシンクロニシティであれ
自分が小さくなるためのシンクロニシティであれ
シンクロニシティはどんな人でも絶えず起こっている

意識していないとその現象に氣づかないけど

それが自分が豊かになるためのシンクロニシティかそうでないか
豊かなシンクロニシティを使う生き方をしばらくしてなかった人は最初は見分けがつかないのかもしれない
そういう人は慣れるまでは注意して意識しておかないと見過ごしてしまう

でも人は幼い頃 豊かになるためのシンクロニシティの中で生きている経験をしているはずだからその感覚がない人はいない

どういう感覚かというと
「ザワザワ ワクワク ドキドキ ウキウキ」するような微細な心のユレ

それは日常的にどんな人にでも起こっている

それがシンクロニシティかどうかはその本人が判断すればいいけど
傾向として”恐れ”が強い人はビビってそれが自分の豊かさへ向かうメッセージだと氣づいていない
というか氣づかないフリをする

だから恐れベースの人は起こったそのメッセージや現実に対して熟考に熟考を重ねて
「そうはいっても自分にはムリムリ」
「だって恐いもん」
という判断が勝ってしまう

恐れベースの生き方に慣れてくると

”恐ろしいことに”笑 それは更に自動化され
些細な「ザワザワ ワクワク ドキドキ ウキウキ」が起こっていることすら氣づかない
些細すぎて氣づかないこともあるし

”恐ろしいことに” 恐れが強すぎて幸せにつながる感覚を遮断したりする

「ザワザワ ワクワク ドキドキ ウキウキ」という感覚を閉ざしている思考ベースで現実を見ている人達に囲まれると
感覚・直感ベースで行動している人へ「それは無理だよ」と助言や否定して思考ベースの仲間を増やそうとする人も出て来る

”恐ろしいことに” 恐れベースの社会が出来上がり

うんうん わかるわかる
恐れてる仲間が多い方が安心だもんね

でも恐れで固まって恐れの自動化の中にずっといると本当に身動きとれなくる

鬱や社会的な大事件はこういうことがきっかけで起こる

だから 恐れベースの生き方に慣れ親しんだ人達は最初はちょっと大変と思うかもしれないけど
お尻を叩いて重い腰を上げる必要がある

恐れベースの人で生きている人には
バカっぽく聴こえるかもしれないけど
「人の創造力は無限」
というスイッチを入れるタイミングがいつかは来る

成長の流れに乗るとそのことを証明することがその人の中で起こる

だからいつかは
「人の創造力は無限」というところに氣づいていく

恐くても本当に自分がやりたいことに挑戦する
そうするとその恐さを越えられる勇気や力が内側から沸き上がってきて魂は成長する

その流れに乗ってしまえばネガティブなエネルギーにも翻弄されなくなる

意識と現実の関係は寸分の狂いもなくほんとーによく出来てる

その人が信じたものが現実となる

ネガティブを感じて生きたい人は「恐れ・不安・思考」で生きるとはどういうことか現実がサポートしてくれてそんなシンクロニシティが起こる

ポジティブを感じて生きたい人は「豊さ・強さ・直感」で生きるとはどういうことか現実がサポートしてくれてそんなシンクロニシティが起こる

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というメッセージをいただきました
何処からだろう 笑