よくみる

よくみることを よーくみると よくみえる

厄(負)を好転させる

年の始まりは毎年近くの海に初日の出を見にいく


自分が生まれる前の日も両親は海をみにいったと
それで僕が生まれて名前に「洋」をつかった という話


だからでもないけど
年の始めは日の出を海でみたくなりそれが恒例になっている

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日の出

朝日はみるだけでパワーをもらう
お天道さまってすごいなぁ


今年はどんな一年になるか
1月はそんな想像をしたくなる月


僕の場合は今年は厄年

厄年がどうやって出来たか分からないけど
悪い運気をあらかじめ設定されているかんじは
僕は居心地よくない

年の始めにちょっと出鼻をくじかれる


【厄年ってなに?】

「厄年ってなんなんだ〜!?」
と 去年も前厄の時にかんじたけど

今年は昔から作られている設定をなんとなく取り入れる前に
人生の中で数回しかない機会に
厄年と向き合ってみることにした

厄年はよく分からないけど
「厄」と決められているだけで
少しビビる そして気分的になんだか やられてしまう 
僕のような日本人にはそれくらいの影響力を持っている

そう考えると「厄年」の風習はすごい
もしかしたら人のバイオリズムの中に厄が巡る歳回りがあるのかもしれない
でも
そういう厄年の本質は伝えられずに
風習・習慣だけ受け継いで「厄年です」って決められているだけでどうすることもできないのが今の日本人

僕もよく分からないまま 

その「厄=負」の存在をよく感じてみると

厄年

悪い事がおこりそう

意味も分からず不安・恐れる

不安・恐れで反応

不安・恐れの現実を体験

という流れを心のどこかで作ってしまっていた

厄年にどういう意味があるかは分からないけど
自分で作ってしまうこのネガティブな流れだけはなんとかしたい

逆に言えば 
自分で作っているものであれば
どんなことであれ 
必ず自分でなんとかできるはずだ


【ネガティブ感情も優秀なセンサー】

そのためには内観する必要がある
内観して自分の中で何が起こっているのか突き止める

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「不安」の発生源は
「未知=無知」から来ている
分からないから不安になる

でも不安になることは悪いことではない

むしろ頭では捉えきれていない「未知=無知」があることを
潜在的に察知して感情として「不安」という反応を作ってくれている

その「不安」は魂からのメッセージを受信して反応している
優秀なセンサー

だから「不安」を無視してはいけない
「不安」と友達になるとこれほど心強い友はいない

これは「病気」の仕組みで同じだ

体であれ心であれ病気になったら
表面上だけ治すという解決は根本的な解決にならない

「病気」はその原因を知らせるために体や心が伝えてくれるメッセージ
例えば生活習慣病といわれる病気にかかりその病気だけなおして
同じ生活習慣を病気が治ってから続けていても体は同じようにメッセージを出し続ける

そういう物の見方をするようになると
起こっている全てのことに意味があり 
悪いことは何も起こっていないということが分かる

その仕組みが理解できるだけで少なくとも
「不安」という感情を恐れる必要はない


【「なんでもこい!」の覚悟を持つ】

「不安」を恐れる必要はなくても厄年だから何かが起こりやすいのかもしれない

厄年には何らかの意味があり

厄年は災いが起こりやすい歳回り
昔の人がその歳の巡りをメッセージとして残してくれた風習
かもしれない

だとしたらどうする?

たぶん対処法は
「それで?」
という態度

そもそも「災い」ってなんだ!?

全く同じことが起こっても人によって
「災い」の定義が違うと体験も違う
毎日「災い」ばかり起こるという人もいれば
毎日「学び」があり勉強になるという人もいるだろう
そう考えた時に「災い」はその人の気持ち一つでどうにでも変化することが分かる

その気持ちを作っているのはもちろん自分
じゃあ その「気持ち」は何によって変化するのか

「覚悟」

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何でもこい!という「覚悟」を持っている人は些細な「災い」を体験したところで
その人にとって「災い」は「災い」ではなくなる
そういう人はむしろ「災い」をポジティブに変換する力を持っている
「覚悟」を持つだけで同じ現象が起きても経験することがひっくりかえる

なんでもそうだけど
逃げ腰になるだけで
自分の力は発揮できず負けてしまう

「覚悟」がある人は逃げ腰にはならない
でも「覚悟」がなければまず自分自身に負ける

自分自身に負けると
相手やその場にも負ける
そして全てに負ける

厄年にもきっと同じことが起こる


厄年と病気は向き合い方が似ているかもしれない
病気の人がその病名を聞いただけで
精神状態が追い込まれる 
一気に老け 弱る 


【癌との向き合い方】

日本人の2人に1人は癌になり 3人は癌で死亡する
僕の家系や周りでも癌になる人がけっこういる


身近では祖父も母も癌になった
祖父のように癌でなくなる人も多いが
母は癌を自然療法で完治させた
もちろん病気の進行具合によっても違うが
同じ病気になっても人によってその態度や病気に対しての関わり方がまるで違うなぁとつくづく思う

僕も周りのおかげで
癌の治し方や病気の向き合い方に詳しくなった

癌になった人たちの中で癌を根本から治せる人は
癌をメッセージとして受け入れて自己改善をする人達みたいだ


病気は体を通して魂が伝えてくれる一つのメッセージ
そのように受け入れられたときに
病気を自分に被害を与える悪い現象からポジティンブな現象に変える事ができる
そのメッセージに氣づいた人は病気も結果として治ったりする
メッセージに氣づいた人でも100%治らないのは病気を通して経験したい事が魂によって違うからだと思う


魂はいつでもありとあらゆる方法で内側・心の原因をみるようにメッセージを送っている
それが自然の摂理だから

だから病気に対して表面上の対処をしたところで
根本と向き合わなければ
治しても再発したり別のカタチ(病気や同じような類いの現象)でメッセージを送ってくる

この見方をして 行動出来た人は大病や災難も完治させる可能性があるのをみてきた

病と向き合うとき
その人達は自分自身と向き合う

そういう人は癌であれなんであれ
その「厄」が回ってきたことで人生が好転したりする

人の「厄」の向き合い方をみていたら
その人の人生観が見えてくる

僕の場合は今年は厄年

厄年が何か分からないが
分からないなりに「覚悟」を決めた

正確には瞑想していると「覚悟を決めないといけないよ」というメッセージを受けた

「覚悟」を決めた時に
厄年でも僕は悪い影響は受けないなとはっきりわかった

それは例え何があってもそのことと向き合い受け入れることが出来るから

誰かが作った厄年という設定よりも
僕の「覚悟」のエネルギーの方が上回っているときに僕は厄に負けることは決してない

「覚悟」についてはもっと書きたいことがあるけど
長くなるのでまた次回