よくみる

よくみることを よーくみると よくみえる

田舎暮しのすゝめ:心構え

僕の仕事の一部は

田舎へ移住したい人のサポートやアドバイス

そんな経験から分かることをシェアします



【田舎暮しする人の最初のハードル】

田舎で暮らしたい人は年々少しずつ増えている


情報発信や情報を得やすい時代になっているから


田舎暮しに興味があるなら
前よりは田舎暮らしのハードルが低くなっていると思う





僕は田舎生まれ
田舎育ち
だから
田舎の人の気持ちはよく分かる


田舎から都会に出る人の心構えのハードルはあまり高くない


社会が都会中心の価値観だから
田舎から都会に出る若者を社会や家族も応援しやすく
田舎の若者は後押しされるように都会に出てきやすい


逆に 都会から田舎に移住や就職を考えている人の視線は
賛同よりも
珍しく見られことが多いという話は時々耳にする

人によっては

理解されなかったり
心配されたり
否定されたり
するらしい


同じように一度都会に出た田舎の人は
田舎に戻ってくると負けたような感覚になる人もいるらしい

この場合は世間がどう見ているかということを
自分が意識しすぎて自分で自分の足を引っ張っている


そんなこんなで

田舎→都会
よりも
都会→田舎
の方が
ちょっとだけ行動に勇気がいる みたいだ



【田舎暮しはクリエイティブ】

僕は田舎から出て都会 海外でも生活して
回り回ってUターンで田舎に戻ってきた


何の抵抗もなく




抵抗がなかったのは
社会がどう見ているかという視点よりも
自分で経験した視点の方が信じられ 
客観的に判断出来るようになっていたから
自分の判断に何の疑いもなかった



僕が戻ってくる時の視点
自分の経験から田舎を見た時に感じたこと

こんな都会的な思考の時代だからこそ

田舎に残っている文化や自然に備わっている本質の方が
今の社会に求められている


「田舎は都会にいるよりも創造性に溢れた場所かもしれない」

久しぶりに田舎の地元で生活していた時にそういう直感があった


それは間違っていなかったと今は更に明確に感じる

都会に暮らしていると当たり前で気づきにくいけど
都会は既製品に溢れている


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何か欲しいと思った時に
モノやお店の情報が頭に浮かんだり
何処で何を手に入れようという発想が出てくる


自然の素材を手に入れるにもお金が必要で
自然を感じられる場所を探すには公園や港に行くしかない
でもそれですら人が手を加えた環境


都会に暮らしていたときはそれが当たり前になるけど
田舎で暮らしはじめるとその環境の不自然さに氣づき驚愕する


物を創る人達が集る環境が
その物で囲まれているのだ


極端に言えば創られるものの発想が人工物から生まれる
更にその人工物は人工物から発想されたもの
更に、、、、


都会に住む人はその異常さに氣づかないと危険だ


僕もそうであったけどその環境に入ってしまったら本当に氣づきにくい




もちろん田舎で暮らしていても
今の時代情報検索も何処でもできるし
ネットで注文すれば都会と同じように直に届く時代
なので都会的な発想にもなる環境だけど


田舎は圧倒的に自然


だから都会に比べると圧倒的にプリミティブな感覚も残っている


場所によってはその感覚でまだ暮らしている人達もいる
日本の原住民のような暮らし?!


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それが一周回ってトップランナーだったという感覚は
一度都会に出て帰ってきた田舎者には衝撃的だった


料理 
住居 
山 川 海と関わること
自然を使ったあらゆる知恵
自然と人間が共存する里での暮らし
神仏の信仰

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上げればきりがないけど


頭の中での情報整理ではなく
素材を通した感覚の対話が必然的に起こるのが
田舎の環境

暮らしの中で実践し 学ぶのが
田舎暮し


周りの人達も
経験して知っている知恵を
惜しみなく共有してくれる

科学技術だけでは高い意識の文明は創られないのは明らか
科学技術が進化するほど 
昔の暮らしにあったような自然と調和するような精神性や感覚と融合が必要な時代

都会と田舎が認めあって共存している世界

そういう直感があったから

自然の中での暮らしを選んでいる


【自分の感覚を信じる心構え】

たぶん都会に住んでいる人も

「満員電車の中ではなく・・」

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「自然の中に自分が求めているものがある・・」 

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「何かやり方があるなら自然の中で暮らしをしたい」
「何らかの方法で自然と繋がりがある暮らし方に変えたい」

と感じる人はたくさんいるような氣がする

若いときの僕がそう感じていたように
都会の環境が自然よりも心地よいように感じる人もいるだろうけど

都会で人工物が心地よくかんじるのは
自然に近づけている環境で起こっていたり
別の視点に目をそらせている場合が多い


人間も動物

心地よい環境は本能で感じている

そう感じた人達は
色々考えているはず

それでも自然と関わることにまだ距離があるのなら

そういう情報が少ない
まだまだ入り口が少ない

それに加えて
ちょっと勇気もいるから

マイノリティーが苦手な日本の民族性があるから
いいなぁと思ってもやっている人が少ないうちは
行動に移すことにちょっと腰が重い
それはよく分かる

でも
そういうときだからこそ
もし行動に移せたらその行動だけでも価値がある

僕の周りにたくさんいる
「何年越しの想いを叶えるために田舎に来ました」
と言う人はみんなイキイキしている

そしてはじめた田舎生活の楽しさに
なんで今まで行動しなかったんだろうと不思議に思う

「行動出来ないのは自分の幻想」

やりたいと思ったことを信じて行動に移せる人が得られる経験

行動に移しても修正ややり直しはいくらでも出来る

やって後悔することはないけど
やらない後悔の方が取り返しがつかない

田舎暮しに必要なのは

「自分の感覚を信じる心構え」
だけなのかも

落ちることに飽きたら前を向く

【不幸は日常に溢れている】

前回厄年のことを書いたら
yokumiru.hatenablog.com


これぞ厄年ということが起こった

その日は出張で遠方に行くので
雨の早朝の暗闇を少し急いで車を運転していた
前の日からの強雨で山から転がって来たであろう大きな落石と正面から衝突

「はぁ〜やってしまった」と思いながら
翌朝 車屋さんに車を見てもらおうと走行していると途中でオーバーヒートのような状態で
ぷっすん ぷっすん
そのまま入院(車が)

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車屋さんに持って行って診断してもらうと

「みてみないと分からないけどもしミッションの部分に異変があったらかなり修理に(お金が)かかりそうですね」
とのこと

はいはい来ましたね〜
これぞ厄年の威力ですかね!?
なかなかのパワーでした
自分がもっと氣をつけていればよかったんだけどね
そんなこんなもあって その日はまぁまぁ心がやられました

「もう少し早く出て心に余裕があれば」
「なんでもっと氣をつけなかったんだろう」
「厄年はこんなことが続くのかなぁ」
「お金が一気になくなるわ〜」

妄想の言葉が次から次へと沸いてくる
モンモン モンモン モンモン
でもそんな妄想もひたすらするとそんな自分を俯瞰してみる瞬間がある

【氣づきのタイミングが来たら前を向く】

俯瞰してみると自分がいかにずっと妄想の中で時間を過ごしていたかに氣づく
そうなるともういい加減自分でもクヨクヨせずに立ち直りたい

そのタイミングが来たら重い腰を上げて
エイや!と意識を別のところに向ける

過去に引っ張られず 今を生きる ということだけど
実際にやるとなると引っ張られるエネルギーが大きければそれは簡単ではない

でもこれができれば自分の妄想で苦しまずに生きることができることを今回再確認できた
↓それはこんなかんじ

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僕の場合は意識を向けることを
事故よりもより大きな求心力を持っていることに向けた

仕事をやっているときは仕事の中でもやってて楽しいこと
休日は時間をとってやりたかった空間づくりやこれからの計画など
自分が楽しくて没頭できることに向き合った

【逃げるじゃなく 捕われない】

起こったことに目を向けず
やりたいことをやることは一見原因から逃げているようにも見えるけど

逃げることと捕われないことは大きく違う
逃げている時は原因から離れているけど
捕われていない時は原因と向き合いながら影響を受けない状態

捕われなくなるためには
一旦原因と向き合って受け入れなければいけない

言葉で説明すると難しそうだけどやってみて学べば難しいことではない

やりたいことをやっているだけでいいのだから

なぜやりたいことをやっていると逃げずに原因から捕われなくなるのか

それは妄想は思考を使って自分で作っているものだから

やりたいことをやっているとき思考は不幸な妄想ではなくやりたいことに向いている

思考ではなく感覚に没頭していたりする

だから不幸な妄想をする暇がない

僕の場合
事故をしたという事実は変わらないから事故とは向き合う

その事故から
自分を責めたり
お金が減ると考えたり
落石についてあれやこれや考えるのをやめる

というよりやりたいことをやっていたら妄想をしている時間がなくなったと言った方がいいかもしれない

だから事故をしたという事実はかわらないから事故処理の色々な手続きは淡々とするけど
やりたいことが面白くなると妄想に捕われている暇がなくなる
現実と妄想は離れ
事故に捕われていた自分は完全に何処かにいってしまった

そんなことよりやりたいことで僕の意識は忙しいのだ

これが厄年の学びですね

九州ツアー:異次元の旅

キャンプ道具を持って九州に1週間の旅に行ってきた

小さい頃から家族や学校の修学旅行でもよく行ったけど何回行ってもまた行きたくなるエリア

行く前に会えそうな友達には声をかけることにした

福岡に移住したシンジ君ヒサエちゃん夫妻に連絡をしてみると
僕   :「僕が九州に行った時に一緒に行きたいって場所あったよね?どこだっけ?」
シンジ君:「あんでるせん

なんともメルヘンな名前
聞くと完全予約制の4次元パーラー(喫茶店)らしい
あやしい〜 笑


店主がショーをしてくれるということだが
シンジ君からは「あんまり調べないで体験してほしい」ということなので調べないで予約を取ろうとしたら1ヶ月以上前なのに既に予約でいっぱいとのこと

そう言われるとよけいに行きたくなる〜
旅の計画を少し変更してなんとか行けそうな日程で予約を取ることができた
シンジ君達とその友達夫妻も一緒にとれた

予約がなかなかとれないお店なのにその日はなぜかみんなが予約がとれた
呼ばれてる感ありますね

1ヶ月前から何も情報がないあんでるせんに行くことを考えると不思議とワクワク
何も知らないのに
調べてないけどめっちゃワクワクしてるのは僕がシンジ君ヒサエちゃん夫妻を信じてるからなんだろうなぁ

というわけで 九州ツアーは「あんでるせん」から始まった

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友達夫婦との再会もでき
いざうわさのお店に潜入

11時からオープンして注文した後に数時間の待ち時間

店内には各界の著名人の写真がずらりと色んな意味でズレているもに溢れている
きっとこれも次元をズラすスイッチとして組み込んでるのかなぁと思いながら散策

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長い待ち時間の中 机になにげに置いている知恵の輪をみんなでやったり
久しぶりの友達とお話をする

シンジ君は3回目予約して2回これたらしい

1回来られなかった時はお店から電話がかかってきて
「14名でなく12名ですよね?」
と確認されたらしい

「14名ですが」と答えたけど
店主は「おかしいなぁ12名のはずなんだけど」と言って電話が切れたそうだ

その後 友達のお母さんが入院して友達夫婦は行けず12名になったという話をきいた

ムズムズと何かが始まる予感!

14時になると店主が出てきてショウが始まった

このショウの内容を言葉で説明しても面白くないので詳しくは書かないが

店主がたくさんの持ちネタの中からジョークとマジックで楽しませてくれる
店主は本業のマジシャンではないだろう
なぜならマジックは僕でもマジックだなと分かるものがあるから

でも時折みせてくれる
明らかにマジックの限界を超えている次元が違う現象を見せてくれた

店主に選ばれた人は透視や予知をして具体的なアドバイスや人生の道筋を示してくれる

なるほど これを体験したくてこんなにも予約して来ているんだなぁ

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ちなみに僕がもらったアドバイス
「創ることがあってるよ 先生もいいですね」
とメッセージをいただいた

「創ること」はよく言われて 自分でも合っていると思っているから何らかの表現をしていきたいと思っていた

「先生」は僕なりの解釈だと人に経験を共有してその人がその人らしくいられるようなガイドをしたいと思っているのでそのことかなと想像を巡らす

どちらも 今の延長上にあるような気がする

ぼくはショウもそうだがこの言葉で後押しされることを受け取りにきたような気がした

遠方からこんなに予約までしてくるのはやはりここでしか経験出来ないものがあるから

ここは呼ばれてる人が行くような場所なので行きたい人はまずは予約から挑戦してみてほしい

予約は午前8時から
ショウの目の前のカウンターは2ヶ月前午前には一杯になるようだ

自分を傷つけない

「生きたくない」という人は
 1:自分が安心出来る環境を整えるということを前回書いた

yokumiru.hatenablog.com



次にすることは
2:「自分を傷つけることをやめる」

これは なかなか分かりにくいクセ
クセとは無意識にやっていること
自分のクセは自分では分かりにくい

何より自分をわざわざ攻撃したいと思って攻撃して苦しんでいる人はいないので
このクセで苦しんでいる人は自分で止めることが難しい

でも自分と同じようなクセを他の人が持っていたら客観視できて分かりやすい
「この人自分で自分を責めているだけだよなぁ」
「でも同じようなことを自分もしている、、、あ!」
みたいな

多くの人は大なり小なり自分自身を傷つけている何らかのクセを持っている

大きいものは明らかに分かりやすく自分でも直ぐ分かるし他の人も指摘しやすい

それより小さいものは少しずつ自分を傷つけたりする
少しずつ傷ついていつのまにかどん底になったり怪我したり
そこで初めて
「自分で何をやっているんだろう」
「変わろう」
と自分のくせに氣づき 止めていき クセを少しずつ手放すことができる

まだどん底になっていない人は自分を少しずつ傷つけていることは本当に見えにくい
だからまずそのクセに気づく必要がある

もちろん 手放したければ

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逆に言えば他の人から見たら 「なんでそんなことをしてるの?」と思うようなことでも
本人は実はそこまでどん底になっていないので氣づいていない
ある意味そういう人は他の人よりタフだ
だから本人は気づくためにそういう自虐的な経験をしていたりしている

だから実は困っている人は誰もいなかったりする

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この広い視点に立てば
喜劇のようなことで人は苦しんでいたりするので
実はいつでも誰もが「大丈夫」なんだけど


とはいえ殆どの人が
無意識に攻撃している
ジワジワ攻撃している
自虐的なクセを知りたいと思う人の方が多いと思うので
氣づくことに少しでも役立つコツをシェアしたい



1:自分が安心安全だと感じる環境を作ったら
好きなことをやり 合わない人からは離れる - よくみる

心が静かになる
外からよけいな影響を受けにくいので
自分自身に対して攻撃している
これまで隠れて見えなかった(見ようとしなかった)動きに氣づいてくる

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まずは
一日の中で少しでも自分と向き合う時間をつくってみる
そんな時は更にできるだけ外の影響を受けない空間の方がいい

例えば
僕は毎日朝晩1時間ずつ瞑想をしている
その瞑想では
「出て行く息 入って来る息をただ観察する」だけ

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この瞑想は太古からある瞑想らしい
すごくシンプルだけど真剣にやるととてもパワフルな方法
呼吸は意識と無意識、身体と魂の両方に繋がっているから

本人の覚悟次第で心の奥深くまで入ることができる
とはいえ一日2時間程度の瞑想ではそこまで深くは入るのは難しいけど
自分が無意識にやっている思考行動に氣づいたり
自分の反応が手離れ感覚的に生きることがやりやすくなる

10年僕がこの瞑想をやっているのはその必要を実感しているからだけど

他にもクセに氣づく方法はある
例えば
書くこと
同じく自分と向き合う時間を作る
苦しみを持っている人であればその時影響している反応が強いものなどが自然に浮上してくる

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それは言葉にならない感情 理解出来ない思考 だったりするかもしれない
不快な感覚 思っても見なかったイメージ だったりするかもしれない

それらの印象をただ書く

反応が起こっていることであれば一つの出来事の一部始終を書き終えるところまで書いてみる

一通り書いてみたら少しかく前からくらべてなんらかの氣づきがある
少し客観視できたり
ちょっとスッキリしたり
ポジティブな視点を発見したり
解決策が見つかったり

根深いものは一度書いただけでは全く変わらないことも多い
そんな場合は
もう一度戻ってはじめから終わりまでもう一度書く
同じ内容を書いても意味がないと思うかもしれないけど
書いている内容は関係ない
大切なのはただ書くこと そして感じること

書くことのいいことは
考えるよりずっとゆっくりしたスピードなのでその経験を感じたり見つめることができる
感じる経験することが自分に氣づくためにはなくてはならないプロセス

一度書いてもまだ同じ感情や苦しみは絶えず出て来る
でも何度も何度もそのことを繰り返しているウチにその苦しみは経験と共に手離れていったりする



氣づくためには色々なやり方があるのでその人の直感でやってみるといいけど
やりかたはどうであれ
氣づくためには経験して実際に感じることが必要なので
自分がその時感じているかどうかをチェックしたらいい

頭で理解した氣づきも自分を理解するためには有効だけど
それで手放すことはなかなかできない

苦しみはその対象に抵抗して距離をとってしまうと起こる
距離をとることで苦しいと感じる人はその幻想を持ち続けることをしている
なので苦しみを手放すには抵抗せずにもう一度その出来事から離れず受け入れる必要がある

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経験することが最もパワフルで簡単な氣づきの近道
というかこれしかない

瞑想したり
書いたり
自分がやっていることに氣づいてきたら
次は手放すだけ

だから手放す

手放すを頭でやってもできない
どれくらいその人が強く握っているか
意識のどのあたりで創っているかでその手放し方は色々ある

共通することは頭で理解するだけでなく経験すること


僕にはやりたいことが一つだけある

それは自分の経験を分かち合うこと
そのきっかけがこんなところでできたら嬉しいと思って続けている

文章ではきっかけくらいしか伝えられないけど
経験する方法は色々あるのでそのうちまた共有したい


続きはまた今度

自分を守る環境を作る

前回のつづき
yokumiru.hatenablog.com


「生きたくない」という人がまず必要なことは心の平安の確保です

生きたくないと思う経緯や状況は色々あると思うけど

「好きなことをやり 合わない人からは離れる」
ということを僕は常に意識して生きている

そう言い切ってしまうと「なんて自分勝手なやつだ」と他の人から思われそうと
実行することを躊躇する人もいるかもしれない

でもそういう人ほど実践した方がいい

これは
自分が主張できずにおどおどしている人
周りの目を気にして生きてしまいがちな人
そういう人に向けてへのメッセージでもあり
子どもの頃の僕自身に対してのメッセージでもある
僕は子どもの頃そんな意識で生きていた

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僕はまだ小学校に入る前にいじめられていた
いじめっ子から隠れるためにしばらく周りの目ばかりを気にしていた時期が長かった
だからそんな人の意識状態はよく理解出来る

僕は物心つく前からそういう環境そういう意識で生きていたので
気づいたら周りに合わせるのが当たり前になっていた

そんなビクビクしている時は少しでも自分の意見を言って
それが大多数の意見と違うことが一番の恐れだ
「目立ってしまうとやられる」
本能でそう信じていた

だから自分の意見や気持ちよりも他人の価値観を優先することが当たり前だった

それを何年も続けて分かったのは
他人の価値観で生きていたら自分の力は発揮出来ない
という当たり前の結果

そして他人に合わせていると人に優しくなれるかというと それも逆だった
自分の貧しさや無意識のストレスやトラウマは
自分を傷つけてしまうだけでなく
他人も傷つけてしまうという
そんなことを繰り返し学んだ

そこで学んだ経験は今となっては僕にとって自分を作っている大切な経験

その学びから得たことが
「好きなことをやり 合わない人からは離れる」

自分はいつも攻撃されている
自分は弱い立場にある
やりたいことあるのに人の目を気にして躊躇する
と感じている人は何よりもまず自分を守ることを優先的にやった方がいい

中途半端に守るのではなく
徹底して守る
できない時はいつでも逃げればいい
とにかく自分が安心して暮らせる環境を何よりも優先して作ってほしい

特に家族 自宅 知人 職場の関係で
自分が攻撃を受けて自分の心が小さくなっているように感じている人は
もしその相手と勇気を持って対話できるのなら
自分がその人の発言や行動で自分が小さくなっているという自分の気持ちを正直に相手に伝えてみる
相手が心ある人であなたのことを思いやってくれる人であればきっと協力してくれるはず
その相手も実は心にトラウマがある人なので直には変われないかもしれないけど
そんなあなたの言葉が相手にはきっと響くはず

もしそれを言っても変わらないとあなたが見切ったならば
そういう人や環境からは離ればいい
そういう人と一緒にいてもあなたにも相手にも社会にも豊かになる関係は作られない

たとえそれが親だとしても
そういう親からは離れたほうがいい
たとえそれがあなたが大好きな相手であっても
そういう相手からは離れたほうがいい

それが一時的であってもいい
とにかくあなたの心の平安を第一に行動することが必要だ

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そしてあなたの心が豊かになり
攻撃してくる相手から影響を受けないくらい強くなれば
その時は同じ人と出会っても相手は同じようにはあなたに関われなくなる
少なくともあなたが変わればその相手がどうであれあなたの人生には影響することはない

「好きなことをやる」というのは心が豊かになった次のステップ

自分の心が豊かになると
初めて自分の魂が喜ぶ声が聞こえてくるようになる

自分が満たされている人は他人にも優しくなれる
自分も満たされ他人も満たされることに近づくと魂の喜びにも近くなる
そういう時に作られている関係は相手ともより自然な関係性が作られ相手との生産性も最も高まる

自分が満たされていない時に無理矢理好きなことをやろうとすると
満たされない欲求を満たすための好きなことをするようになる
それでももちろんいいんだけど
実はそれは遠回りなやり方

順番が逆だとこじれてしまいやすい

1:自分を攻撃する相手から離れ
2:自分自身も攻撃することをやめ
3:自分を満たし
4:好きなことをする

今回はまず1のお話でした

続きはこちら
yokumiru.hatenablog.com

もう生きたくないあなたへ

ちょっと重いタイトルですが響く人が一人でもいれば

「もう生きていたくない」

すごく身近にその言葉を聞いた

その人の辛さを感じ
自分の力の無さを感じ
世の中にはきっと同じようなことを感じている人が知らないだけでたくさんいるのだろうと思った

今はただ自分に何かできることはないかなと思って書いています

もう生きていたくないと言った人は
ずっと不幸な経験をしている人ではない
むしろその人から「幸せ」という言葉を耳にする方が多いくらい
そして懸命に本当の自分の生き甲斐がなんなのか 
行き当たりばったりだけど一生懸命生きている

そんな人がもがきながらずっと心の中にあり続けるのは

自分には生きている価値が無い
自分は出来ない
何のために生きているのか分からない
やりたいことが分からない
将来が不安
という否定・不安の連続

ちょっとだけど ずっと持ち続けている心の声や痛みが溜まり
発作的に「もう生きていたくない」という言葉で出てきたようだった

日頃から聞いている悩みを一つひとつ耳を傾けたり
時にはその人が自分と向き合えるようにそっとしておいたり
できるアドバイスはしていたつもりだけど
他人が感じていることは100%分からないからいつも会話をして手探りでかんじていたけど

その言葉を聞いて本当にどうしようもないくらいの苦しさなんだと心に刺さった

そして僕の中にも同じように苦しみを感じている心の部分がきっとあると思った
僕にも過去に同じような苦しさと向き合った時期があった
その時ぼくはどうやって抜け出したんだろう
その経験をその人と分かち合うことはできないのだろうか

僕からみると素敵なその人でさえこんな大きな苦しみをかかえているくらいなら
同じように「もう生きたくない」って思っている人が今日本に 世界にどれくらいいるのだろう
もしかしたらそう思わない人の方が少ないくらいなのかもしれない

自分ができることでやれることはなんだろう
できることをやろう
僕自身も救いたいから

他の人の感じていることや経験を変えることは決してできない
だからいつもそういう時は僕の経験をシェアすることから始める
その人が苦しみから抜ける経験が出来る時は 僕は少し離れて見守る
心の深部の経験はとても神聖で他の人が介入出来ない場所だから

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世の中をヨクミル 生き方をヨクミルために 自分をヨクミルために
一人でも誰かの役に立つなら僕が苦しみから抜けた時の話を思い出しながら時々書いてみたい

yokumiru.hatenablog.com